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須賀敦子の日記を読むのは今度が初めてのような気がする。

若い頃は、文学者の日記を読むのが好きだった。フランスに来る頃は森有正や辻邦夫の思索的な日記、また、遠藤周作の日記など、その後は、内田百閒や永井荷風の戦時中の日記なども別の関心から読んだ。四十歳過ぎまでは自分でもとぎれとぎれだが日記を書いていたが、五十歳頃に何もかも嫌になって大学ノート二十冊ほどの日記を全部処分した。今から考えると、惜しいように思うこともあるが、読み返せば読み返したで嫌気がさしたのではないかという気もする。この須賀敦子さんの日記は、自分を叱咤しながら自己の進む道を探して(信仰と知的の両面で)いる姿が生に書かれていて、むろん後世に出版されるなどということを考えていなかった(書いている時は少なくとも)と思える、そういう悩みが随所にあって打たれる。昔読んだ記憶では森有正や辻邦夫の日記は、すぐにでも出版されることを念頭に書いている化粧した雰囲気があった。

この日記の抜粋されているのは七十一年、二十年近い西洋での滞在に終止符を打って帰国する直前だろうと思う。その後、二十年ほどして『ミラノ 霧の風景』が講談社エッセイ賞を受けるのだが、もうその時すでに六十歳を過ぎていた。(だからどうというのではないが)

 

 

 先日の須賀敦子さんの日記に続いて、手紙を読んで、年譜を辿ってみた。

 日記は71年の日本に帰国する前の時期である。熱のこもっている手紙は、ペッピーノと知り合って頻繁にイタリア語で(?)やり取りした時の彼女のてた手紙である(岡本太郎訳)。(亡くなってこんな個人的な手紙が公表されるということに恐ろしさも覚える)愛の手紙である。61年に両親の反対にも関わらず結婚する。その後、不幸にも夫が亡くなるのが67年。帰国を決心する4年前だ。ほぼ10年をミラノで過ごし、それが結晶しているのが「ミラノ 霧の風景」というわけだ。

 なんだか昔のことが懐かしく思い出されてしかたなかった。あれやこれや、というのだはなく、雰囲気。時代的には20年ほどの差があるのだが、でてくるフランスやイタリアの風景、町のたたずまい、人間関係といったものが心に迫ってくる。

 記憶ってなんだろう? 最近よく考え昨日何を食ったかも(どうでもいいからだろうけど)思い出せない年齢になって、よく人が言うように、五十年前のことが鮮明によみがえる。

 小鳥は記憶持っているか

 今ここ、というのは記憶を輪切りにしたものだ。

 記憶とは過去において生きた残影のようなものだろうか、事実とか歴史なんかに関係無く、ホログラム、幻影といったもので、今の我をかなり規定していて逃れられないもの。記憶とはそんなもんで、穏やかなものもあるが、強い酸を含んでいて、人を幸せにしたり不幸にする、かなり深い部分で。だから記憶は、怖い。記憶喪失の映画は多いが、記憶なくして生きていけないことを示している。

 須賀敦子さんの日記を読みながら、思い当たるのは、本当に、あの時の光の様子だったリ、影の模様だったり、、、。雰囲気の片鱗を見た気がした。思い出す 読むという事はその時代をもう一度生きることかもしれない

 もう一度「ミラノ 霧の風景」を読んでみよう。日記と、手紙と、作品とではまたどう違うのかを知りたい。

 

 今、仕事で翻訳をしているワインの香りに関して調べていて、こんなページにいきついた。つまり、ワインを飲むときに「不快なにおい」として感じられるものとは、「濡れた段ボール、馬小屋、ゼラニウム、カビ、玉ねぎ、腐ったリンゴ、物置、雑巾、汗、硫黄、猫のおしっこ、お酢」とある、というもの。どれもつわものらしいにおいだが、「濡れた段ボール」はどことなくすごくうなづける。

 須賀敦子さんの「ミラノ 霧の風景」のあとがきに「チュディルナ」の本に触発されて自分でも書いてみようかというきっかけを与えられたとある。いろんなものに対するスタンスを与えられるということはあるように思う。

 でその、「ミラノ 霧の風景」の最初のあたりでチュディルナについて言及し、「香水」という小説の話がある。それがこの写真のページである。ちょっとお読みください。他人から受け入れられなかった無臭の子供が、自分の体臭の「香水」を生み出して初めて受け入れられ、有名な香水師になったという。その人間としてのにおいは「猫の糞と、かびたチーズと、腐敗した魚のはらわた」から調香したというのだ。

 これはまさにワインの不快なにおいである。つまりワインで不快なにおいとされるものは、ある意味では「人間のにおい」なのである。これはどのように考えればいいのか。ワインに求めるにおいは自分にないにおいということなのか。

 いずれにせよ、イタリア人の有産階級の鼻持ちならないにおいを風刺しているのがこの香水なのだが、「猫の糞とマンステールとクサヤ」を一緒にしたような香水なんて、それ相当の個性がありそうだ。

「ミラノ 霧の風景」をじっくりと読み返した。「拡張現実」という読み方をしてみた。「ミラノ 霧の風景」は虚構と実際の話のエッセイとの間を緩やかにいききする。「拡張現実」という読み方というのは邪道でたいしたことではないのだが、出てくる場所をGoogle ストリートビューで追いかける。するとわれわれの貧しい想像力では考えられなかった世界が見える(ような気がする)。例えば、主人公「わたし」が夏の休暇にペルージャに行ってイタリア語を勉強するのだが、その時にアパートの場所だとか、城壁の門のあたりに出かけると蛍が飛んでいたという丘だとかが鮮やかなのだ。またナポリに数か月滞在した時の場所だとか教会の通り、親しくなった八百屋の女将のいた界隈なども。しかし、一口で言えば、イメージで補強しても、やはり戻ってくるところは、あの比較的息の長い、ところどころ、地の文の中に歯切れのよい会話体が生き生きと挿入される、あの文章に勝るものはないという結論にいたる。文章がうまいというより、一瞬で、その場の雰囲気をつかむ的確な言葉で、人物の描写を行う。先ほどの、ナポリの八百屋の女将に新聞紙をもっていく場面だとか、ガッティという気難しいが寂しい背中、プロシュッティ先生、、、など、数えればきりがない。

 さて、もう一言最後に付け加えると。フランス嫌いにさえ見える彼女が書くことを夢見ていた大作の「アルザスの曲がりくねった道」は、宗教的・精神的な探求の話で、シモンヌ・ヴェイユ(哲学者のほう)、ユルスナー、デュラス、タブッキといった濃厚な世界を展開しようとしていた。草稿を見る限りでは、カトリシズム、フランス、日本、ベトナムなどを舞台にした修道女の視線を通しての求道的な話で、Zというイニシャルで記される友人でもあったオディール。彼女はリヨン生まれで、話の舞台にもリヨンが出てくるはずだったので、未完の大作が惜しまれるというもの。

 須賀敦子というひとを考えるとき、やはり80年代にフランスで修道の道に入って作品を書いた高橋たか子さん(高橋和己の妻)などを思い出す。年代的にも近い。それから宗教ではないものの歌人の石川不二子さんも集団共同開拓農場に入植したりしてどこかで道を求める精神形態が似ている。(睡蓮の円錐形の蕾浮く池にざぶざぶと鍬洗うなり/『牧歌』という歌に読み取れる社会とのかかわり方も)高橋たか子さんは知らないが、須賀敦子、石川不二子の二人は日本のある知識人階級、資本家といえる家系であるのも似ているのである。

 こういう時代があったこと、そして今はそのようなものがみじんも感じられないこと、これはどう考えたらいいのだろう。あくまで個人の生き方の追及のなかで宗教や集団的な組織というものが力を持っていた時代だった。いま、何が残っている?

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H君が亡くなったのを知ったのは、半年ほど経ってからだった。あれから数年が過ぎたが、今も亡くなったという実感がわかない。


同郷の彼とのつきあいは、考えてみれば点のようなつきあいで、決して線になるほどでもなく、かといって消えてしまうのではなかった。


高校一年の夏、彼の属していた文芸部の部員が夏の合宿でスイカを盗んで活動が停止になった。その文芸部の秋の雑誌の初めて短編が掲載される予定だったがふいになった。朱の入った原稿用紙が戻ってきた。彼とはどこか距離がって親友という感じかった。根に持っていた、どこかで。

数年後に、上京した僕らは時々あった。


中央大学の法学部の学生だった彼は弁護士になるのだといった。ある日、千葉刑務所までデモで捕まった友人に差し入れに行一緒に来てほしいといってきた彼も一度逮捕されて。面会室で革マル派だという彼の友人に会った。


その日、僕たちは拘置所を出て、駅までの道のりを黙って歩き、駅前のビリヤードに入っ。ビルの上の方にあった人気のないビリヤード場に、横殴りに夕日がさしてい。人気がなかった。なぜかこの日のことをよく思い出す。何だかレイモンドカーヴァーのワンシーンみた


その後、僕はフランスにきて、数年後に妻となる人と一緒に帰った時に会った。もう一人の網走でバーをやっているT君と、四人で浅草でマージャンをやったが、変な組み合わせだなあといって笑った。


彼は弁護士になり、僕も小説を書きはじめていたころ、久しぶりに新宿で奥さんと一緒に鳥のしゃぶしゃぶを食べにいった。奥さんは同郷の確か一年上の人だったが、話をしたことはなかった。弁護士の事務所を構えたばかりのことで羽振りが良かった完全にお姉だった


その後、十数年後にまた会って、東京で会社を作る際にいろいろお世話になった。麹町の彼の弁護士事務所も大きくなっていた。


その後また五年ほどして、東京に帰った際に、理由はかったが、僕の娘とH氏夫妻とでホテルニューオータニの中華に招待してくれた。豪華なところだったし高層ビルだった震えた。

父が亡くなって、相続のことがわからないので、彼に相談した、彼の義父がやはり田舎の弁護士で面倒をみてくれた。


それが最後になってしまった。彼が亡くなった理由はわからない。奥さんに手紙を書いた。もう会うこともないとおもうと、無性にさびしい。千葉のビリヤード場の夕日が思い出される。早すぎるよなあ。

喪に服すというが、人が生きるのは、何らかの形で先人たちの喪に服しているようなものだ。

前衛短歌論争において議論の対象となった平井弘の『顔を上げる』について言及しておこう。一九六一年に出されたこの第一歌集は、今読んでもみずみずしい少年期の喪失感がリリカルに詠われており、寺山修司の初期歌群をおもわせる。見ること・見られることの間に生まれる屈折した自意識の動きが、コンプレックスにあふれた恐れの心とせめぎあっていて、村・家族という閉鎖された世界にくりひろげられる。『現代短歌大辞典』から以下小塩卓哉の解説を引用する。

 

「平井の作品中の実在しない兄をめぐって、小瀬洋喜と岡井隆との間で激しい虚構性についての議論がなされたように、フィクショナル作品世界に特徴がある」

  空に征きし兄たちの群わけり雲わけり葡萄のたね吐くむこう

  兄たちの遺体のごとく或る日ひそかに村に降ろされいし魚があり

 

このような虚構について、平井弘は半世紀後に、吉川宏志との対談で次のように述べている。

 

「兄というのを私は別に虚構したとは思ってないです。岡井さんが書いてたんですけど、平井は戦死した兄を虚構したんじゃなくて、戦死した兄を持つ弟を虚構したんだ、と。これだとわかるんです。戦死した兄を虚構するのは、これは他者、対象の虚構ですね。でも、戦死した兄を持つ弟というのは、主体、自分ですものね。他者を虚構するのとは、ちょっと違うことなんです。戦死した兄を持つ弟を虚構したと言われると、思い当たる点はあるんですよ。だから、私はそれを今でも引きずって歌にしてるんで」(注「恥ずかしさの文体」吉川宏志とのインタビュー、二〇一七年四月、塔短歌会) 

この発言は興味深い。個人的には、リアリティを維持しながら作り出されたこのような虚構は十分にありうると思うし、経験からしても、現実の人間関係を考えて書くことを控えてしまうので、そう考えるとこのような虚構を装うことで自由に表出される(客観化される)ことがありえる。そういう経験からしてもむしろこのような試みを讃えるべきだと思う。

 しかし、「オオカミだオオカミだといって叫んだオオカミ少年」が、誰からも関心を示されなくなる話のように(そこから文学が始まるのだと言った人もいたが)、特に短歌世界という長い目で見ると、毎回違ったフィクションを作らねばならず、同じ問題を時間の経過とともに深めるということが一見困難になる。また、作者自身のモラル的な問題もあるかもしれない。この平井と寺山の作品に、共通して感じられる風通しの良い言葉の印象は、案外そのような部分からきているかもしれない。。

         

短歌が、その視野を拡張するために第三者の視点を内包する〈他者〉を抱え込むには様々な方法が考えられる。一つは理性的な方法で、物語を内包する方向、もうひとつは、非理性的な(破壊的な)仕方で新しい視点を獲得しようとするもので、言語的な破壊、理性的な破壊(病理的な方法)である。

短歌が物語への道を切り開くには(そういう必要性があるとした前提で)、短歌のもつ物理的な制約を超える必要がある。それは、詞書や注を利用したり、長歌や連歌といった形式の模索、外部的な本歌取りの手法で外部への参照を張ることなどだ。連作や歌集単位での展開により、交響楽的なひとつの高みに到達することで可能だと思う。岡井隆が試みた「物語的な時間」の創造、整合性のある複数の短歌によるより重層化された時間の獲得などの試みをあげることができよう。あるいは時田則雄の『北方論』なども歌集として読めばある大きな物語としての一貫性を備えている。小説でいうところの「5W」をそろえることにより、統一された世界がおぼろげながら見えてくるはずだが、これは実際には、ある歌人が一生のうちに書く複数の歌集によって自分の生という単位ですでに為していることかもしれない。そのような全体を見る時、ひとりの歌人の〈私性〉は限りなく〈名前のある歌人〉のものとして生み出される。しかし、この「作者」の名に近い「歌人」の物語は必然的に、誕生と死という時間の枠内の物語に制約される。例えば、「三十年後の世界を生きるある男の物語」はありえない。ただし、比喩として空や木々になることはできるがそれは別問題だ。このような手法は、「狂人でない限り」という条件付きの話だ。

現代芸術は、常に「言語的規範」を解体し、常にメタランガージュ的である。小説や現代詩では様々な試みがなされてきた。多和田葉子の詩『新婚旅行』などがその例であろう。また、寺山修司が演劇や映画という手法で切り開いて見せようとした世界も類似している。

 

その一つに「意識の流れ」という方法がある。

短歌は、和歌の昔から、緻密に構築されている独立した短歌としてあるが、しかし、場と心の動きが提出されて出来上がる様は、「意識の流れ」を表しているようにも見える、たとえそれが定家の極端に抽象化された美を追求する歌であれ、西行のある種の境地をしめす歌であれ。

 

見渡せば花ももみぢもなかりけり浦のとまやのあきの夕ぐれ 定家

世の中を思へばなべて散る花のわが身をさてもいづちかもせむ 西行

 

定家や西行がそのように歌を詠んだというのではなく、「意識の流れ」を知ることで、三十一音という線的に読まれるべきテクストとしてみた時、ある一つの新たなレクチュールとなると思える。

では「意識の流れ」にはどのような方法なのか? 表現する側から見てみよう。

心理学者が十九世紀末に指摘した考え方で、人間の意識は意味や文法的な構文・言葉の配列によって理解できるのではなく、「動的なイメージや概念が流れのように連なっているもの」という考え方である。この方法はまた、フロイトの精神分析の影響があったことはあきらかだ。そしてシュルレアリストたちの文学的な手法として求められたのは、「人間の精神の中に絶え間なく移ろっていく主観的な思考や感覚を、特に注釈を付けることなく記述していく文学上の手法」(川端康成『水晶幻想』)だった。「特に注釈を付けることなく」というのは、注釈によって物語が整合性を与えられているからだ。

ジェイムズ・ジョイスの『ユリシーズ』、マルセル・プルーストの小説、フォークナーの小説の「ゴシック体」の部分、デフォーの『ロビンソン・クルーソー』一人称の手記などにその特徴がみられる。わたしは、これを何らかの形で短歌の〈私〉にとりいれることで内的時間の表現空間を広げるのではないかと思う。物語を流れる〈外的時間〉と人物の思考という〈内的時間〉の均衡が崩れて、〈内的時間〉が停滞すると、〈外的時間〉は止まる。そこに新たな表現の可能性がある。

 

その「意識の流れ」の起源となった短編小説が、エドゥアール・デュジャルダン(1861-1949)の一八八八年の『月桂樹は切られた』という作品である。ちなみのこの短編はフランスの童謡「もう森には行かない」に由来している。        

 

≪夕方の日没、遠くの空気、深い空、混乱して行く群衆、音、影、大勢の人々、延長された時間の忘却の中で無限に続く空間、漠然とした夕方...。なぜなら、外観の混沌の下で、期間と場所の間で、生成されるものと生まれるものの幻想の中で、そして原因の永遠の源の中で、……(中略)このようにして生じたすべてのものの一つであり、あるものに入り、可能な存在の無限性から、私は現れる。そして、ここが時であり、場所であり、今日という日であり、ここであり、鳴り響く時間であり、私に沿って、人生であり、私は性器の謎の悲しい恋人を立ち上げ、私の中で、弱い体と逃げ惑う思考の冒険者が私に対抗し、……(中略)……、常に生きている夢が私に生まれる。…ここに時があり、場所がある。四月の夕刻、パリ、日没の澄んだ夕刻、単調な騒音、白い家々、影の葉、より柔らかな夕刻、そして誰かと一緒にいること、行くことの喜び、通りと大勢の人々、……(略)……。「月桂樹は切られた」≫(以上、機械翻訳による)

 

この翻訳は機械翻訳を利用し、大きな間違いをのぞいて、あえてそのまま利用した。機械翻訳は統辞法の無い場合、そのまま一次元で訳すので客観的な心の流れ・淀みをうまく伝えるようにおもう。ここでは脳裏に去来する事物のイメージが羅列されるが、思考を構成するために必要な動詞がほとんどない。最初に出てくるのが「私は現れる」であって、事物の間から文字通り浮かび上がる。それに続いて初めて時と場所が姿を現す。物語が構築されていく過程である。

 

ここから短歌までは一見まだ相当遠い。

それぞれの短歌には、意識の流れはない、あるのは意識の淀みである。

この例では〈物語〉は語られるのではなく、言葉が引き起こす人間の心理や思惟だけに目が向けられる。〈意識の流れ〉が部分的に取り入れられるにせよ、〈物語〉には適さない。向精神薬メスカリンによる幻覚体験を自動書記したアンリ・ミショーの方法でもあった。

寺山修司の短歌における虚構、かもしだされる物語的な「雰囲気」は意識の流れとは逆のものである。意識も物語もひとつの生き物のようにその内的な原理にしたがって動く。相反する動きをする。意識は留まろうとし、物語は直線的に先に進もうとする。

一首の歌は音律を伴って直線的に進むが、「意識の澱み」(意味)が時間を前後させて撹乱させる。そのために一首の短歌に立ち止まる時間が長くなる。優れた歌と呼ばれるものは、万人の「個性」を体現する、ある一定の心地よい状況、ひとりの人生のありようを模倣する試みともいえる。それを破壊するもの、つまり言語としての成り立ちを破壊するもの、例えば文法や「5W」を無視するものは理解を超えるものとして受け入れられ難いのであって、言い換えれば異化の効果を持つ。

"Vents du Crétacé" Monica SATÔ

 

Recension d’un recueil de tanka : "Vents du Crétacé" Monica SATÔ

とほき世に貸し借りをせしもののごと今朝わが肩に落つる花びら

C'est comme ceux que j'ai prêtés et empruntés dans un passé lointain, que les pétales de fleur de cerisier tombent sur mes épaules ce matin.

 

C'est le printemps. Les pétales des fleurs de cerisier sont en train de tomber. En les regardant tomber, l'auteure se souvient soudain d'un passé très lointain, bien avant sa naissance. Dans ce poème, elle fait un clin œil sur l'histoire du tanka et le monde de la poésie de waka.

 

ゆふぐれにひときは明るく輝ける銀河のありて祖父の声する

Au crépuscule, la voie lactée brille de façon bien distincte dans le ciel et j'entends la voix de mon grand-père.

 

Le grand-père de l'auteure a traversé la mer lorsqu'il était enfant avec son arrière-grand-père, qui a émigré au Brésil à l'ère Meiji. Il a dû faire face à une dure réalité dans les colonies où il a immigré et grandi. Maintenant, d'un endroit éloigné au Japon, Okinawa, l'auteure regarde le ciel et entend la voix de son grand-père dans les galaxies.

 

額といふさびしきものを傾けて挨拶をせり朝ごと人は

Chaque matin, nous nous saluons en inclinant notre front, une petite tristesse.

 

On voit une prise de conscience que la vie est quelque peu solitaire et triste quelquefois pour tout le monde. A ne pas s'y tromper. Au contraire, c'est une affirmation de la vie dans ce monde.

 

うらおもてあるやうな朝ゆつくりとかへせばこちらが夢かもしれず

au petit matin qui semble avoir l'envers et l'endroit  -  je la retourne doucement, ce côté-ci pourrait être le rêve.

 

D'après l'expérience de chacun, une réalité semble différente selon la façon dont on "tourne la page" (la façon dont on la regarde). C'est peut-être en relativisant la réalité que nous gagnerons la force d'affronter demain.

 

かぎかつこのなかなるごとし黒猫の二匹にはさまれ本を読む朝

ce matin, je suis en train de lire un livre, prise en sandwich entre deux chats noirs, comme  entre deux parenthèses.

 

Du temps pour lire, entouré de deux chats noirs. Ce doit être un moment précieux.

 

林檎ならジョナを選ばむ少しだけ母の名前に似るを理由に

Pour les pommes, je choisirais Jonas, parce que c'est un peu le nom de ma mère.

 

La mère de l'auteur, née au Brésil, est venue au Japon à un jeune âge, et elle a trouvé un compagnon au Japon et y vit toujours, mais ses racines sont au Brésil.

 

同級生のみな大人びてみゆるなり日系の母の卒業アルバム

L'album de fin d'études de ma mère d'origine japonaise - tous ses camarades de classe ont l'air de grande personne

Il s'agit probablement d'une photographie de la mère au Brésil. Vue de la fille, les autres camarades de classe de la mère semblent plus grands et mûrs, ce qui laisse entrevoir un sentiment partagé et intime envers sa mère.

 

神戸港のただにまぶしき一日なりサントス行きの船まつ埠頭

encore une belle journée au port de Kobe, alors que nous attendions sur le quai le bateau pour Santos.

 

Ce poème rappelle le roman "Sôbô" ("Les gens, les civils, les sujets") de Tatsuzô Ishikawa. L'auteure imagine la scène de l'embarquement de son grand-père au moment de quitter le Japon. Et les espoirs et les échecs qui ont suivi dans le pays lointain. L'auteure m'avait dit quelque part que c'est la lecture de ce roman qui lui a donné envie d'écrire une suite à "Sôbô". C'est le point de départ de sa "saga".

 

引き出しに曾祖母の旅券眠りゐてところどころに白き黴あり

j'ai trouvé le passeport de mon arrière-grand-mère dans un tiroir - avec de la moisissure blanche par endroits.

 

Son arrière-grand-mère était une immigrante de première génération et avait donc un passeport japonais. L'auteure nous rappelle une fois de plus qu'il existe certaines parties de la vie, du passé qui ne s'effacent pas, même après de longues années.

 

ブラジルの日本語学校に蛙の詩習ひしことを母は言い出づ

Ma mère me dit qu'elle a appris un poème sur une grenouille dans une école de langue japonaise au Brésil.

 

Le poème de "la grenouille" peut-être un poème de Shimpei Kusano?

 Il dit l'avoir appris dans une "école complémentaire de langue japonaise", en dehors de l'école portugaise au Brésil. Quel genre d'image avait-elle du Japon pendant la période de croissance économique des années 1960 ?

 

 

失ふと聞けばますます澄みとほる海かもしれず 辺野古の海よ

Quand j'entends parler d'une disparition du plage par le travaux de remblai, l'eau de la mer de Henoko devient de plus en plus claire.

 

Il existe toujours une base militaire américaine à Okinawa, une terre qui a connu un passé tragique lors de la Seconde Guerre mondiale. Le poème parle de la disparition de la mer en raison de la construction de la nouvelle base militaire.

 

Monika Sato vit à Okinawa où elle écrit des romans, des poèmes et des tanka. Toute son œuvre est basée sur l'histoire de sa famille, dont l'arrière-grand-père a immigré au Brésil et s'est battu pour y établir et gérer une plantation de café.

La majorité des poèmes de ce deuxième recueil portent sur son fils qui grandit, mais il y a aussi une histoire sous-jacente d'événements à Okinawa et un récit de lignée des femmes immigrées, dont son arrière-grand-mère, sa grand-mère, sa mère et elle-même.

Il y a eu 260 000 immigrants japonais au brésil depuis un siècle. Il existe de nombreux recueils de poésie tanka écrits par des immigrés au Brésil. A travers la poésie tanka en japonais, les immigrants ont écrit sur leurs événements quotidiens et se sont souvenus du Japon. Les journaux quotidiens en langue japonaise au Brésil avaient une page spéciale pour les tanka, et les journaux ont disparu vers l'an 2000, en même temps que disparaissait la génération qui pouvait comprendre le japonais écrit.

 

Dans ce contexte, l'auteure est née d'une mère d'origine japonaise elle-même née au Brésil. Sa mère était venue au Japon comme étudiante, s'est mariée et y est restée.

 

L'auteure ne perd jamais son regard joyeux à travers le monde quotidien avec son enfant. Cela peut être lié au climat et au caractère joyeux des Brésiliens. Au cœur de l'histoire se trouve le lien avec son arrière-grand-père, qui était un immigrant, ce qui donne regard différent des japonais en général.


(日本語)
佐藤モニカ 『白亜紀の風』(短歌研究社2021年)
〇ゆふぐれにひときは明るく輝ける銀河のありて祖父の声する
ブラジル移民だった曾祖父に連れられて幼くして渡った祖父は、移民先で過酷な現実に直面したに違いない。孫の「私」は、今、遠い沖縄という場所から、空を見上げ、銀河の中に祖父の声を聞いている。
〇額といふさびしきものを傾けて挨拶をせり朝ごと人は
誰にとっても「生きていくということは、さびしいことだ」という認識がある。それがこの世界の力強い肯定のしるしとなっている。
〇うらおもてあるやうな朝ゆつくりとかへせばこちらが夢かもしれず
どのような現実も、「ページのめくり方」次第で違って見えるという経験がある。現実を相対化することで、明日への力を得るのかもしれない。
〇かぎかつこのなかなるごとし黒猫の二匹にはさまれ本を読む朝
黒猫二匹にかこまれている読書の時間。貴重な時間なのだろう。
〇林檎ならジョナを選ばむ少しだけ母の名前に似るを理由に
ブラジルで生まれた作者の母親は若くして日本に来て、日本で伴侶を見つけて現在も住んでいるが、そのルーツはブラジルである。
〇同級生のみな大人びてみゆるなり日系の母の卒業アルバム
ブラジル人の中の母親の写真であろう。娘から見て、母親の他の同級生は大人びて見える、という中に、屈折した自己の心情が垣間見れる。
〇神戸港のただにまぶしき一日なりサントス行きの船まつ埠頭
石川達三の小説『蒼氓』を思い出させる。孫祖父の船出のことを想像している。そしてその後の希望と挫折。作者はどこかで、この小説を読んだことがきっかけになって、自分が『蒼氓』の続編となる小説を書こうと思った、といっている。サーガの原点。
〇引き出しに曾祖母の旅券眠りゐてところどころに白き黴あり
曾祖母は移民第一世代にあたるので、日本の旅券を持っていたのだろう。長い歳月にも風化しない部分があることを作者は改めて思い返している。
〇ブラジルの日本語学校に蛙の詩習ひしことを母は言い出づ
蛙の詩、というのは草野心平の詩だろうか。ブラジルのポルトガル語での学校とは別に、「日本語学校」で習ったという。時代的には、高度成長期の日本だが、どのようなイメージを持っていたのだろうか?
〇失ふと聞けばますます澄みとほる海かもしれず 辺野古の海よ
第二次大戦で見捨てられたといっていいほど悲惨な過去をもつ沖縄という土地に、いまだに米軍基地がある。その移転拡張に伴う工事により、美しい海がまた失われていく。
★佐藤モニカは現在は沖縄にすんでいて、小説、詩、短歌を作っている。彼女の曾祖父が日本からブラジルへの移民者で、苦労を重ねてブラジルにコーヒー園を開き、経営してきたという家族の神話的な物語が、すべての作品の基盤となってながれている。
この第二歌集の大半は、幼い男子の育児を詠ったものが多いが、そのほかにも、沖縄の出来事や、曾祖母、祖母、母、そして「私」へと連なる移民者の女子の系譜が基底にあるように思う。
ブラジル移民は26万人を数え、日本語での短歌を通じて、移民者はその日々の出来事を歌にし、また日本のことを思い出した。ブラジルでの日本語新聞には短歌の欄があって、日本語が理解できる世代が消えていったと同時に2000年ころに新聞も消えていった。
そのようななかでブラジルで生まれた日系人の母がブラジルで日本語を習い、学生として日本にきて結婚して、作者が生まれた。
そのような屈折した系譜を背負う作者が、自らの自由のな視線で、あくまでも明るい世界を描いていくところが感動を誘う。
作者は子育ての日常的な世界を通じて、向日性の視線を失うことがない。それはブラジルという明るい陽気な風土や国民性とつながるのかもしれない。そしてその根底には、移民者だった曾祖父につながる思いが息づいている。

プロフィール

石田 郁男  ISHIDA Ikuo

Author:石田 郁男 ISHIDA Ikuo
フランス在住。小説(88年「群像」新人賞受賞)。短歌(「心の花」所属、歌集「ハクナマタタ」2019)

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